
リアン・ハケット
リアン・ハケットはフリーのライター兼編集者で、スコットランドのサウスエアーの中心都市、エアを拠点にしている。元々は舞台衣装を手掛けていたが、後にアート・マネジメント(芸術関連施設・組織の運営管理)に従事する。英国芸術評議会(英国カウンシルアーツ)に勤務した後、ロンドン大学シティ校で勤務した。ビジュアルアート&デザインプロジェクトコンサルタントとして数年過ごした後、ケンブリッジ、シェフィールド、香港、エジンバラの各地で、ビジュアルアート、ダンス、デザイン、建築の分野でフリーのライター、評論家、編集者としてのキャリアを確立した。フリーライターとして、香港の英字紙サウスモーニングポストにダンス評論を、香港の雑誌《号外》とスコットランドの日曜版大衆紙《Scotland on Sunday》にデザイン評論を掲載した。香港の画廊 LeCadre Gallery 用にカタログ・プレスリリース資料作成、ミラノの「driade spa」、スコットランドの「Scottish Design」、エジンバラ市議会などのクライアント向けのテクニカルライティングも行った。ボランティア活動の面では、スコットランドの国立ダンスセンター、「ダンスベース」の委員会メンバー及び委員長、香港で「明日香港」(Hong Kong City of Tomorrow)がテーマの展覧会の運営委員会メンバー、英国シェフィールドにある画廊兼美術館ミレニアムギャラリーで「芸術は我々を救えるか?」と言うプロジェクトのボランティア研究員、スコットランドのサウスエアシャーのアーツパートナーシップとして、同地の「対話とサービス向上」キャンペーングループの共同創設者となった。その他、スコットランド地質学センターのメンバーであり、ジョン・ラスキンの社会理論と行動主義に関する研究を続けている。
来たるチャールズ・チャウ個展について
リアン・ハケット
2021 夏
翻訳監督: 美術手帖
私たちを取り囲む大衆文化は、私たちを良い気分にも嫌な気分にもするし、満足させてくれることも疲れ果てさせることもある。天に身を投じ、今この世界で 精神が極限に達するとき、自由な精神とそれ以外を区別するのは、他と違う考え方ができるという、その熱を帯びた可能性である。この数か月、ヴァーチャルに制限された私たちの生活はこれまでの人生経験のどれにも当てはめることのできない、とある異なる部類の感情を生み出した — 感触、味覚、動揺への深い深い欲求である。
抱擁、何をおいても、抱擁、なのである。
異なる考えをもつ人々も多少の痛手はあれコロナ禍を耐え抜き、そして強くなった。コロナ禍の逆境で、私たちは立ち直る力と強さを手に入れた。私たちは虚構を投げ捨て、新たに明ける日の微かに揺れる光や、枝を透かして空を見上げる時に目に入る花の美しさを大切にするようになった。
私たちは異なる考え方をし、結果、行動や振る舞いも異なった。
私にとって、その考え方は「ニーチェなら何と考えるだろう?」という疑問に基づいていた。どうあるべきか、どうなるべきかという問いの迷宮で、ニーチェなら私たちをどのように導いてくれるであろうか? まるで肩を並べてそばにいるかのように、彼は「素早く入り、素早く出よ」と言うであろう。目覚めの瞬間から眠りに至る瞬間まで頭の中を駆け巡る思考を制御せねば。その答えが私たちを夢想から一瞬にして目覚めさせる。考えが重なり合うようなニーチェの網状の思考の世界に、敢えて生きてみよう。
私たちは全体を「見る」。そして美を「見る」。
序文
これこそ画家が私たちに伝えてくれる美だ。
チャールズ・チャウの《花々》(《花々1》展、香港、2020年;そして来たる《花々2》展、東京、2023年)は何とも言えぬ美を伝えている。彼は大型キャンバスに単一のイメージ、あるいは部分的なイメージを描き、その全ての喜びあふれる色合いや色調で自然が花開くさまを表現している。そしてその後やって来る嵐に控えるのだ。
100年以上も昔、ファン・ゴッホは桜の花を想像で描いた。彼は一度も日本に来たことこそ無かったが、自分が日本に居ることを思い描いたと言われている。ゴッホは私たちに、まるであたたかな地面に横たわり混じり気のない青空に広がる枝々 — そして北斎や広重の作品によって新たに想像された花々 — を見上げさせるようだ。
ファン・ゴッホから100年以上を経て、東京を基点とするアートコレクティブ、チームラボはゴッホの作品群を新たに捉え直し没入型の3Dインスタレーションとして創り出した。その展示での体験は、「ネオン版のゴッホの絵画のなかに足を踏み入れるよう」iだという。「チームラボボーダレス」には、アムステルダムのゴッホ美術館よりも多くの人が訪れている。新たに蘇らされ、原画よりも大きなサイズで描かれたそれらの作品群は、バーチャル時代の到来以前には考えられなかったものだ。《花々2》展で、チャールズ・チャウも私たちに上を見るよう促す。彼の描く花は地面から見たもののようである — 花びらが集まったような空。間もなく、《花々》の花が日本で咲く — それはゴッホが魂の兄弟と出会う瞬間となる。
「ニーチェが東京に居たら何をしているだろうか?」これは私がニーチェに訊くことができたらとても楽しいと思う質問である。想像する答えは、「寿司、刺身に梅干、豆腐と照り焼き。それからそびえ立つ高層ビル群。」だ。短い格言的な俳句を詠むだろうとも想像する。
俳句の簡潔さは、「純真さ」、純粋さ、そして禅を表している。
俳句という芸術は、ニーチェの「ゆっくりと進む美の矢(Slow arrow of beauty)」の方法で、砂利に残る熊手の跡、木に成る花の蕾が咲くさま、そして月夜の静寂の優美さを味わせてくれる。俳句は、芸術家がその身に尊敬を受けて立った、詩人が賛美を受けた、そして人々が友和のなかにあった穢れなき時代を伝えてくれるが、それとは似つかない時代をも伝える — 私たちが再び見い出し取り戻したい時代である。しかし、私たちはその道が示された地図を失ってしまった。アラン=フルニエが小説《グラン・モーヌ》でかくも美しく紡ぎ出した探求である。この小説では愛と喪失、そして物語の舞台となる失われた夢の邸宅、レ・サブロニエールが感動的に描かれている。
どのように私達の活動が始まったか
夢の場所。1980年代終盤の香港である。
私がチャールズと出会ったのは、1980年代の終わり頃、共にあるエッセーのシリーズに携わった時だった。その頃チャールズは、当時のツァイトガイスト(時代精神)を秀逸に表した大判の雑誌、野心的思考派の《号外》(Citymagazine) 誌の編集長であった。私はというと、ギャラリストのポラム・ラウがビン・クワンや故レオ・チャンと共に伝説的な展示を開催したり最良のデザインを展示したりしていたLeCadre Galleryに勤めていた。香港芸術センターと並び、Citymagazine誌とLeCadreは香港の文化生活の中心であった。当時、芸術家で香港芸術センターの展示ディレクターだったオスカー・ホー・ヒング‐ケイは、昨年出版された著作で、香港のことを「受容、吸収、導入、操作、そして変化する能力の上に成り立っている」1と語っている。そしてこれは真実であった。
Citymagazine誌のエッセーはその存在感をぐんと増していった。チャールズの展望は「再考+再学習」という思考運動を集団的に成功させることにあった。香港理工大学設計学院の上級講師だったマシュー・ターナーと共に、私たちはアイディアや展望を探り、前に進むための方法を提案した。それは純真な日々と呼べるもので、永遠に失われないことを願っている。
ポラム・ラウが2020年に出版した限定版の本、《すべては愛について》 (It Is All About Love)2 からは希望があふれ出ている。情熱的な欲求、憧れや好意といった、愛を祝福する著作である。この本は7.5kgもの重みがある。150部限定で手塩にかけて制作されたもので、ポラムからLeCadreの芸術家仲間への贈り物であった。高名なデザイナー、ジョン・モーフォードがLeCadreについて語る通り、「嬉しくなるほど頑固で、意志が強く、不朽」2の一作である。このような姿勢が今、そしてこれからの私たちには必要となる。一部の人々は無邪気なアンチテーゼと呼ぶものの、私たちは希望を持ち続ける。昨今の日々においては、〔過去からの〕「脱学習+脱思考」の考えを追求するのも良いかも知れないし、「脱行動」は「再行動」より優先すべきものかも知れない。
さて、私たちの失われた「純真さ」の感覚に対して、ニーチェならどうするであろうか。きっと外に向かう鋭い矢を放つはずだ — 私たちに強さを与えてくれる金言を。「我が幸せの法則:是、非、直線、『目標』…」(“Formula of my happiness : a Yes, a No, a straight line, a goal…”)3。
チャールズ・チャウの第1フェーズ
チャールズの展示シリーズの最初の作品となったのは、《山不動》(「玄黒系列、香港、2013年;「素白系列」、北京、2014年)だった。この作品は二分にされた一組の木炭画とインスタレーションで、最初に親しい間柄だけの空間である香港のフリンジ・クラブ内にあるギャラリーで披露された後、日本人建築家の隈研吾が設計した北京市三里屯地区のザ・オポジット・ハウスの巨大なギャラリーで展示された。広さが全く異なる2か所のスペースでの展示には意図があった。現在では伝説的な場所となっているフリンジ・クラブは香港中心部の歴史的なアイスハウス(19世紀末に建てられた冷蔵倉庫があった建物)内にある。この歴史感と、隈研吾による建築であるザ・オポジット・ハウスの現代性の対比は明らかである。さらに深く掘り下げると、歴史的なつながりが見つかる。隈は、中央の庭が四方全ての建物に囲まれている北京の伝統的な四合院方式の住宅に着想を得た。対してチャールズとパートナーのレインボーは、長さ9m、幅4.5m、高さ3.5mという巨大かつほぼ全体が彫刻からなるインスタレーションの制作に必要なスペースをザ・オポジット・ハウスで得ることができた。2人は、《山不動》の巨大さをギャラリースペースに持ち込んだのである。
登ることさえ夢物語のような山への抽象的オマージュを込めて彫られた、めまいがするような峰々と共に展示されたのは、チャールズの初めての — こちらも山を描いた — 美しい木炭画であった。流麗な描写のテクニックは中国の水墨画を基にしているが、紙に木炭で大きく描いたものである。白とそこに描き重ねられた黒との対比、そしてギャラリーの黒い暗闇の中に彫り出された白は、何よりも手ごわく、厳しく、そして人を小さく感じさせる自然を崇高に表現していた。
《山不動》はチャールズが文化的創作活動とビジネスの経営管理を掛け持ちしていたハイブリッドな世界から、純粋な芸術家の世界へとシフトした新世紀の瞬間を示す集大成であった。この変化はチャールズが彫り上げた山々の広大さと伍するほど大きかった。チャールズが芸術への情熱にのめり込んで行くのを目撃するのは、私には衝撃的であると同時に喜ばしい驚きであった。
この変貌は、チャールズのロンドン・ビジネス・スクールでの教授の一人で、The Age of Unreason(《不条理の時代》)の著者である名高い学者チャールズ・ハンディにとっては全く驚くことではなかったであろう。Citymagazine誌での職務の後、チャールズはロンドンに移住し、ロンドン・ビジネス・スクールでMBAを取得した。チャールズが回想するハンディの言葉がある。「変化とは、結局のところ、単に成長と同じ意味の言葉、学習の同義語に過ぎない。変化を望めば誰にでもできるし、誰にでも享受できるのだ。」4 チャールズはこれをやってのけた — 変化を実現したのである。
それはまるで不合理の時代が突如として合理的になったようだった。時に皮肉が顔を出すニーチェの世界に浸り、チャールズはハンディの言葉の代わりに、ニーチェの格言、「人生について自分なりに《なぜ?》と思うなら、人生のどんな《いかに?》とも付き合っていける」5 の考えに従って生きると決めたのである。
《山不動》はチャールズの人生の中心軸となった — チャールズは自身の「理由」と「目的」を見つけたのである。
黒と白の2色からなるパレットで描いた《山不動》で、チャールズは以前から創作したいと考えていた野心的プロジェクトを実現した — 歴史を高速で巻き戻し、地球そのものの始まりの時まで戻り、人類が存在する前の地質学的過去を探検したのだ。
本エッセーは、チャールズがニーチェの「ゆっくりと進む美の矢(Slow arrow of beauty)」を三里屯のギャラリーの床に書いたと私が聞いて執筆することになった。
チャールズ・チャウの第2フェーズへの移行
チャールズはその後の6年間をアトリエで作業して過ごした。山々の広大さを後にし、高みから降りた。平地、谷、草原で起こる豊かな現象に向かう美的かつ地形学的な意味での下山である。一人称の視点を見つけたのだ — 「今ということ」の現象学 — 現在、つまり開けた地での幸せである。チャールズは色彩にあふれ咲き誇る花に目が向かった。
その結果が《花々》シリーズである。それはそれ以前の黒と白のモノトーンのスタイルからの意図的な決別だった。
《花々》シリーズにおいて、チャールズは「今」 — 存在の「現在性」 — をじっと見つめ祝福したい欲求を、爆発するような色彩のパレットを用いて発している。自分にとってのニーチェが言うところの「日の当たる場所」を《花々》のシリーズに見い出したのだ。
色彩がチャールズのパレット上に弾け出した。複雑な色合いの花の様々な色が、キャンバスからキャンバスへと踊り遊び、好きな陽光に向かって歌うように陽気にハミングし、絵筆の動きは力と生命力にあふれている。まるでチャールズが私たちを取り囲む自然 — 庭や公園、草原やベランダ、花が咲く場所全て — を祝福し、そうすることで人々に元気を届けたいかのようだ。この画家は私たちを、私たち全員を、自分の「ふしぎの国」での散歩に連れ出したいのだ。
チャールズは自身の制作の習慣をこう説明する — 謙虚な姿勢で、絵を描くことは記録を残していくことだと言う — それはチャールズ自身と世界との対話の日々、いくつもの週、そして時にはそのいくつもの月や年数を表すのだそうだ。子供時代における喜びと正直さを、美や愛と同じくらいに単純で長続きするものだと形容し、彼のキャンバスは
「愛する色であふれている!」と語る。《花々1》展では、子供時代の喜びと無限の幸福、そして大切な思い出とお気に入りのリズムが、チャールズに花が繁茂する数々のキャンバスを生み出させた。はるかに広がる世界の美しさをたたえるキャンバスである。
花々はどこで見ても喜びをもたらしてくれる。
詩人ヴィタ・サックヴィル=ウェストのシシングハースト・カースル・ガーデン(英国、サセックス州)や、水戸の偕楽園、そしてバンクーバーにあるヴァンデュッセン植物園といった夢の庭園を訪れることができなくても、私たちは屋内に花を持って来る。それは庭から摘んできたものであったり、窓際の鉢植えだったり、ロンドン有数の花屋、Nikki Tibbles Wild at Heartで買った贅沢な野花の花束であったり、はたまたロサンジェルスにある Bloom & Plumeのモーリス・ハリスから買い求める一輪一輪彫刻した花だったりと様々だ。ファッションデザイナー達も花の時が(再)到来している。刺繍、絵画、ビーズの花々が色彩のパレットで反乱を起こしている。フローラルファッションをリードしているのは、シャーロット・ノウルズ、リチャード・クイン、そして伝説的ヴァレンティノである。クリスチャン・ディオールの花に対する愛はそのデザイン哲学の中核にあった。書籍 Dior in Bloom の中では、彼の「花々は神がこの世に与えた、女性の次にもっとも美しいものである」6 という言葉が引用されている。
インテリアデザイナーも壁や天井に花を散りばめる — 例えばローマにあるThe Holy Deerの石膏型や吹きガラスで作った花々や、ポルトガルの建築家、ジョアン・メンデス・リベイロがかつて法王が使っていたものを改築した部屋、さらにDBI Designのスーザン・ロスが手掛けたアブダビのJumeirah Saadiyat Islandである。スパも昔から花をベースにした治療を行ってきた。ロンドンのホテル、The Nedでは、アニー・デ・マミエールがフラワーエッセンスやハーブの美容液で若返りの施術をしている。アマン京都でもコールドプレス製法の椿油が指圧に着想を得たマッサージの一部に用いられている。
調香師は花に関する語彙が無くては仕事にならないだろう。高級調香師のロジャ・ダヴは、自身のフローラルパフュームのエッセンスは「花屋に足を踏み入れた瞬間に迎えてくれる香りと同じくらい甘く、柔らかで優しい」と言う。エディブルフラワーもシェフが選ぶ食材のひとつとして馴染んできたため、私たちは皿の上にスミレ、キンレンカ、ルリジサ、その他の食用の花びらがのっているのを期待するまでになった。香港のレストラン、SKYEでは、ミシュランスターシェフのリー・アダムスが屋上庭園で育てた摘みたての花を皿にあしらっている。
花はどこで見つけても美しい。花は色彩であり、色彩は喜びを運んで来てくれる。
《花々2》展 対《花々1》展
《花々1》展はまるで抱擁であると前述したが、それに対して、《花々2》展は挑戦である — それは画家本人にも、鑑賞者にとってもである。
チャールズ・チャウにとっての挑戦とは、色彩を理論ではなく活動として探求することだった — ヴィトゲンシュタインが論じた通り、科学的な真実ではなく概念的明確性を求める戦いだった。もし梯子が必要だったなら、チャールズは使うだけ使った後に梯子を捨てていたであろう。
《花々2》展にはリスクがある。
チャールズにとって画家として対峙するリスクとは、灰色と白の様々な濃さやトーンがより鮮やかな色合いやトーンを突き破る、という新たな探求領域に立ち入ろうとすることにあった。自然の美のみを描いたことと《花々1》展の活き活きとした色の数々に満足できず、チャールズは人として存在することの浮き沈みにもっと深く入り込める世界 — 花が咲いては枯れてゆく過程と同じ生と死、成長と衰退という自然の循環の一部として一人間になれる世界に踏み込みたくなったのである。
チャールズにとって《花々1》展のテーマであった「色を喜びにあふれて表現すること」は、今見るとより神秘的である。チャールズはニーチェが芸術家に向けた、自明の受容についての格言に以前よりも近付いている。それは外面の世界を知覚するには芸術的能力の存在が必要だと説いている。
北京大学芸術学部の学部長であり、美学・芸術理論の教鞭をとる彭鋒教授は、《花々1》展について考察したエッセーで、チャールズの作品について「ディオニソス的“陶酔”をアポロ的“夢”に昇華」と語っている。彭教授の言葉は、チャールズの過去に潜在意識的に根差していた、そして今は実際に彼の現在と未来に根差す哲学者ニーチェ7 を再び思い起こさせる。
チャールズと直接語った際、教授は画家としてのチャールズはもはや夢と酩酊の間で引き裂かれてはおらず、むしろ世界と調和していると伝えている。彭教授はこのエッセーを祝福とも解釈できる言葉で締めくくっている。「驚くべきことに、神秘主義とミニマリズムが一体化してしまったのだ。」8
彭教授のエッセーに書かれた励ましと展望は、チャールズに強い影響を与えた。
それまで自分が潜在的にしか分かっていなかったこと、そしてそれを今やっと声に出すための道筋を、彭教授が示してくれたことで理解したのである。自分が画家として進むべき道は「ニーチェなら何を考えているだろうか?」という疑問を思い起こすことで定められると分かったのである。チャールズはニーチェのHuman, All Too Humann: A Book for Free Spirits(《人間的な、あまりに人間的な》)を翻訳書で読み、彭教授の言葉から「格言149(aphorism 149)」に導かれた:
「“ゆっくりと進む美の矢”。最も高貴な美とは、突然に我を忘れさせたり、暴力的または酩酊させるような攻撃(この類は容易に嫌悪感を抱かせる)をしたりせず、むしろゆっくりと浸透する類の美で、私たちはほぼ気付くことなく一緒に時間を重ね、夢の中で再会するのである。そして最後に、私たちの心の中に長い時間穏やかに留まった後で、その美は私たちを完全に魅了し、目を涙で満たし、心を憧れで満たす。美を目にした時、私たちは何に憧れるのか? 美しくあることに憧れるのである。」9
涙の谷、至福への憧れ。ニルヴァーナ。ユートピア。無? ニヒリストのの陰気さに飲み込まれるタイプではないチャールズは、己自身の恐怖に打ち勝つべく、新たな道を歩み始めた。
ここで《花々2》展の考察に移ろう。チャールズにとってのリスクと挑戦である。
チャールズは花咲く春夏の純粋な歓喜から、秋の死にゆく日々と冬の闇と共に訪れる衰えと喪失へとテーマを移すことを決めていた。本人が言うところの、灰色の世界である。
チャールズは以前にもリスクに面している。2018年に「風は何色か?」と問うた時である。
リスクを冒す者たちが居なければ、私たちの世界はかなり狭いものになるだろう。チャールズは新たな領域に踏み込んでいくリスクを冒した。あたかも彼のすることリストを全て終え、素の自分だけになる地点にたどり着いたかのように。チャールズ・ハンディが簡潔に言い表したチャールズの「可能性のポートフォリオ」10 は、まさに満杯なのである。
もしも虹が可能な色彩の領域全てを表すならば、この画家は今、その色の濃さや色合いのゾーンに入りたがっている。チャールズは不安と、そして確信をも抱きながら、色の複雑性を探求する必要性を認識していた。それは様々な濃さの灰色を含む色彩のパレットの主題に関わるものである。そしてこの新しいパレットを探求することのリスクも彼は認識していた。灰色は沈んだ時を表すための色である。とは言え、ひょっとしたら灰色は単なる濃さの一種かも知れない — ひとつの色でも、ましてやひとつの色合いですらない。これは真実か否か? 真実の全体像はこの時点では見えないままだった。
最後に雲にキスしたのはいつですか?
この問いは深遠なものかもしれないが、その意図は純粋である。
内面を見つめることを長年提唱してきたチャールズは、天からの質問にも臆することはない。これはチョプラによって開かれたものだ。
「幸福とは、抵抗のない出来事の連続である」という言葉が言うように、チョプラはニューエイジムーブメントから得られた善と真実を体現している。原点に戻り古代のアーユルヴェーダを学んだチョプラは、多くの人を癒した。チョプラの人気は続いており、同氏のChopraAppは、世界中の人々が瞑想に耳を傾けるようになると予測している。思うに、1990年代にチョプラがニューエイジの要となったように、マサチューセッツ工科大学(MIT)とロンドン・ビジネス・スクールはシステムダイナミクスの心臓部となり、未来をモデル化するためのソフトウェア開発の場所になった。まだこの分野に他の参入者はおらず、重要な節目であった。ミレニアム後、同じくMITの研究者であるアルバート・ラザフォードは、ジョージ・ワイリーの伝統を受け継ぎ、質問し回答する Wh?smanとしての精神を持っていた。そして彼は、「なぜこれがあなたにとって重要なのか」という問いを立てた。彼の答えは、「あなたはひとつの体系だからです。あなたは、属するコミュニティ、祖国、人種といった大小さまざまな体系の一部なのです。」11 というものだった。
チャールズは、このようなミレニアム時代の議論の最中にいた。この質問は、チャールズのそれから始まるアーティスト人生の出発点となった。そして生まれた問いかけこそが、「最後に雲にキスしたのはいつですか?」である。
これは、クラウドマッピングに直接的に言及している。チャールズはシンクロデスティニーの考えの中に、他者、自然、宇宙とつながっているという自らの深い感覚を実現する領域を見出したのである。それは、トム・ティクヴァとアンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟が、2012年にデイヴィッド・ミッチェルの小説《クラウド・アトラス》を映画化し実現したことに似ている。この映画では、過去、現在、未来という複数の時間軸で生まれ変わるという、ミッチェルの複雑に絡み合った物語が映像化されている。個々の人生の行動が互いに影響し合い、大小の思いやりある行為によって未来が形成されていく。
ミッチェルの小説では、時間を強化されるループとして描いている。これを、元マッキンゼー社員でMITの研究者でもあるピーター・センゲが生み出した概念と重ねて考えることができる。センゲの著書では、学習する組織の5つのディシプリンには「新しい発展的な思考パターンが育まれる組織、共に抱く志が解放される組織、共に学習する方法を人々が継続的に学んでいる組織」12 であることが必要とされている。
チャールズには、ハウ・パー・マンション(虎豹別墅)が視覚的な世界から音の世界へと移行したかのように感じられた。解放されたチャールズにとっては、全てが音楽となったのだ。そうこうするうちに、MTV時代が始まり、音楽は動きと融合し、チャールズの絵の具はキャンバスの上で踊っているかのようだった。ピーター・センゲは、クラウド・アトラスが色を塗った図案に輪郭を引いたのだ。
常に進化し、相互につながりあうこの世界において、センゲの強化されるループの考え方(センゲはバランスループについても語っている)は、新たな均衡を生み出すための学習手段を与えてくれる。それは、チャールズにとっても同じだった。
チャールズは、彭教授から提示された創造性の両極の倫理を明らかにするという課題に取り組んだ。アポロ的なものとディオニソス的なものという両極間での豊かな奮闘は、教授が指摘するように、ニーチェが古代ソフォクレスをルーツとして再構築したものだ。それに対して、チャールズはこう書いている。
「色合いに対する画家の探求は終わることがない。トーンに色調、暖色か寒色か、明色か暗色かなど、色には無限の幅があるが、完璧な選択はひとつもない。画家は探求し続ける。しないというなら、その理由は? リスクは常に存在するが、リスクをいとわないものであるべき芸術がリスクを冒さなければ、それは何であろう?」ii
真実性の中にある美……
私たちが生きている人生、つまり生活世界(Lebenswelt)13 とは、日常の時間、空間に身を置き、直接的に経験する全てである。存在状態としての生活世界は、現象学者やジオポエティストが分析したように、時間、空間、意識が相互に関連している。生活世界は、芸術家であるチャールズの空間である。瞑想的な練習を通して、チャールズはまさに、仮説として仮定される性質、経験の存在の中に住まうようになる。キャンバスの表面は、単一の層ではなく何層にもなっており、絵の具の潜在的なエネルギーは、身体、植物、創造物、すなわち「別物」になるのである。
芸術家チャールズの生活世界が抱くディープエコロジーは、自然、宇宙、人間の精神など、チャールズの焦点を当てるものが何であれ、その固有の価値を共有するための道を示している。私たち人間はそれから利益を得ている。そう、花が咲くように、人も成長し花を咲かせるのだ。時の流れの中にある重要な瞬間、時差や大陸を越えた人々は共通性を見出す。これは、デュルケームが探究した集合的「沸騰」という社会学的な概念であり、今では「時代精神」と呼ばれることが多い概念だ。しかし、なんと呼ぶかは重要ではない。重要なのは、中華まん、ボウイ、仏教など、共通の好みを認識することで得られる喜びである。ローカルがグローバルになることである。
光
私たちは頭上の空に敬意を払うべきではないだろうか。
喜びは生活の中にある。チャールズは、新しいパレットを「レインボーのインク」と呼んでいるが、これは彼の美しき妻、レインボーへの賛辞である。
灰色を探求する一方で、チャールズは白にも意味を持たせたいと考える。白は色であると同時に光でもある。神が言われるように、「光あれ」だ。光を取り入れることで、全てが失われるわけではない。灰色が際立ち、白が暗闇を照らす。
チャールズは、白が中国で「空虚」という概念、つまり「狭間」や「リミナリティ」を意味するとを知っており、自分にとって白は高揚感をもたらすものだと認識していた。白は光。白は私たちの頭上にある雲。私たちの精神が昇っていく天上の雲である。
チャールズが芸術家になるまでの道のりは、高校から美術学校、アトリエといったまっすぐなルートではなかった。大学での専攻は哲学だったため、熟考することが求められたが、チャールズは哲学者だけに終わらなかった。過去には編集者、企業重役、社会観察者として活躍した。香港だけでなく、高雄やバンクーバー、サンパウロなどにも居を構えたことがある地球市民であり、無邪気な子供のように好奇心旺盛な知識人である。その経歴によって、世界に対する独自の視点を持つにいたった。
その経歴ゆえに、チャールズは他の人ならば最初はなかなか理解できなかったり、声に出せなかったりするような思考プロセスの洞察ができる。チャールズは、自分の意識的な絵画体験を支えている現象学的な伝統の新領域を開拓したいと考えている。人間性についての自身の経験であり認識でもある超現実的な体験を深く掘り下げたいのだ。彼は内側にも外側にも存在する。意識は対象物に向けられ、その視線は一点に向かい、ひたすらに対象物の精神を吸い込もうとする。
美の中の真理、真理の中の美を求めたチャールズは、学部最後に《美の回復 》(Beauty Restored) と題された論文を発表し、カナダの哲学者メアリー・マザシルの同名の著書14 の仮説を検証した。
チャールズの作品には、どんな時も美の中の真実、真実の中の美に対する追求が組み込まれているかのようだ。哲学に深く根ざしていることが、芸術家としての活動を支えている。ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、カント、バーク、バタイユといった哲学者の視点を考慮し、参考にしているのだ。
バタイユは花について「地面から天空へ向かうこの広大な動き」を体現していると書いているが、これはまさにチャールズの作品にも当てはまる表現だ。バタイユにとって、「この花を見ると、心の中でさらに重要な反応が起こる…愛の存在を明らかにするという奇妙な特権だ。」15
この啓示は、夜明けの美しさへと導くニーチェにも通じるものだ。「美を目にした時私たちは何に憧れるのか?」とニーチェは問い、「美しくあることである。」と真理をもって答えている。16
今を共有し、未来へ
昨年のロックダウン中、Zoomが私たちをつなぐ接着剤だったとしたら、Netflixはよりどりみどりの料理が並んだビュッフェ、バンケット、贈り物だったと言える。私たちは、ドラマシリーズ《シッツ・クリーク》《クイーンズ・ギャンビット》《ザ・クラウン》などを貪るように見て、泣いて、笑って、共に楽しんだ。「おえっ!」という言葉が共通の表現になり、チェスがクールなものとなった。これらこそが、説明を必要としない「ツァイトガイスト(時代精神)」というものである。暗号メッセージを理解するという、単純な分かち合える喜びがある。
私たちは、経験を共有することで得られる純粋な喜び、つまり集合的沸騰を楽しむ。
《花々2》展によって、私たちはそのような集合的沸騰の中に没入していく。作者である芸術家は、私たちに深く掘り下げるよう語りかける。鑑賞者を雲の中へ、青い月へ、木の枝の中へと誘っていく。達人の手による絵の具の魔術によって、私たちは花の香り、花弁の柔らかさ、枝に吹く風のため息、紺碧の空に浮かぶちぎれ雲、そして一夜限りの青い月の不思議な魅力を体験するのである。
ビッグデータ、戦闘的政治、複雑な地域経済に振り回される世界のなか、この芸術家は手を差し伸べ、もっと大きなものになれる境界域、地平線上の天国へと私たちを引き込む。
謎を解く方法が他に無いわけではない。私たちは大きな大きな大音量の音楽のパワーを知っているし——それはある人にはワグナーの音楽、またある人にはアリス・クーパーの音楽である——イビサ島では、大混雑のパチャやアムネシアといったクラブナイトで大騒ぎして、誰もがハイになっている。ペルーのパラカスビーチでワイルドな水泳を楽しんだり、ジョージアのトビリシで宝石のような建築物を見たりと、遠く離れた場所を旅することで、元気を取り戻せることも知っている。以前は、すぐに満足し、すぐに経験することが重要だった。私に関して言えば、今もそうなのだが。進化を遂げた今は、より積極的に、責任を持って経験するという説明の難しい思考の接続が重要になった。
コロナ禍以前の世界は、一部の人にとっては至福の時間であり、また一部の人にとっては「人新世」と呼ばれる生態系絶滅の時でもあった。コロナ禍で多くのことが終わりを告げたが、同時に、より優しく、よりつながりのある共同体主義を受け入れることにもなった。もちろん、パンデミックは気候変動の治療法ではない。あまりにも多くの喪失と悲しみがあった。しかし、私たちが再びつながることになったことは間違いなく、必要に迫られてのことだったかも知れないが、それ以上に深いものとなった。2021年の今、そしてその後も、私たちはコロナ禍後の物理的なつながりを期待している。
私たちには信仰、愛、希望がある。
「まっすぐな列を探しているの?/この限界のある日々の中で/さあ、タンポポになろう/あちこちに散らばって(Are you looking for straight lines / In these liminal days / Come on let’s be dandelions / Scatter all over the place)」iii エミー・ザ・グレイトのこの歌詞は、人々がタンポポの種のように再び世界中に散らばっていく様子を鮮やかに描いている。離散ではなく、新しい場所を探している人々。私たちは遠く離れたビーチを再び歩くだろう。また話題の場所にすし詰めになるだろう。Punch Drunk はニューヨークのマクベスの世界、舞台《スリープ・ノー・モア》に再び私たちを誘うだろう。まるで選ばれし者かのように魔窟のような場所でカクテルを飲むだろう。ロンドンの最東部にあるThe Lost Estateのジャズクラブで《The Lost Love Speakeasy》の没入型世界に再び入りこみ、愛と希望の物語が再び語られるのを聞くだろう。またフィッツロビアにあるモニカ&デイヴィッド・ギャレッティのフランス料理と南太平洋料理のレストランMereで、互いの料理を分け合うだろう。
共有経験や抱擁、なんといっても抱擁に、再び喜びを見出すことになるだろう。
ギャラリー、劇場、コンサートホール、これらの言葉を口にすると、まるで珍しい異国のもののようだ。2021年には、東京、トリノ、台北など、世界各地で、これらの言葉を新たな規範のなかに復活させていく。私たちは、不死鳥のように地中から再浮上するのだ。
ニーチェなら何を考えているであろうか? きっと、全ての修辞的な質問に切り込み、アポリアを解いてくれるだろう。私たちの精神を再び刺激し、心を元気にしてくれるだろう。芸術的空間へと導き、「何が見えるか?」と問いかけてくれるだろう。私たちの新たな生活のための再装備を整え、新しい道を歩ませてくれることだろう。アルス・ポエティカ(詩論):「詩は意味してはならない/存在するのだ」17 。詩と同様、芸術作品もそうあるべきだ。
その芸術作品こそが《花々》なのである。
参考文献一覧
1. オスカー・ホー・ヒング‐ケイ《人々のための芸術批評:オスカー・ホー・ヒング‐ケイによるニュースクリッピング 1980–1990年代》(Oscar Ho Hing-Kay, Art Criticism for the People: News Clippings of Oscar Ho Hing-Kay 1980-1990s)Typesetter Publishing社、2020年
2. ポラム・ラウ《すべては愛について》(Polam Lau, It Is All About Love) LeCadre Gallery、2020年(限定150部)
3. フリードリヒ・ニーチェ《偶像の黄昏》村井則夫(訳)、河出書房新社、2019年(原著 Friedrich Nietzsche, Twilight of the Idols, 1889)
4. チャールズ・ハンディ《不条理の時代》(Charles Handy, The Age of Unreason)Arrow Books社、1990年(初版:Business Books、1989年)
5. フリードリヒ・ニーチェ《偶像の黄昏》村井則夫(訳)、河出書房新社、2019年(原著 Friedrich Nietzsche, Twilight of the Idols, 1889)
6. アラン・ステラほか《ディオール・イン・ブルーム》(Alain Stella, Naomi Sachs & Justine Picardie + Nick Knight, Dior in Bloom)Flammarion社、2020年
7. フリードリヒ・ニーチェ《人間的な、あまりに人間的な》(Friedrich Nietzsche, Human, All Too Human: A Book for Free Spirits)1878年(英訳書:Marion Faber & Stephen Lehmann訳、Penguin Classics社、1994年)
8. 彭鋒《チャールズ・チャウの酔と夢》(Peng Feng, Charles Chau: An Artist’s Obsession and Dreams)2020年
9. フリードリヒ・ニーチェ《人間的な、あまりに人間的な》(Friedrich Nietzsche, Human, All Too Human: A Book for Free Spirits)1878年(英訳書:Marion Faber & Stephen Lehmann訳、Penguin Classics社、1994年)
10. チャールズ・ハンディ《不条理の時代》(Charles Handy, The Age of Unreason)Arrow Books社、1990年(初版:Business Books、1989年)
11. アルバート・ラザフォード《システム思考:課題解決に不可欠な思考法》(Albert Rutherford, The Systems Thinker: Essential Thinking Skills For Solving Problems — Managing Chaos, and Creating Lasting Solutions in a Complex World)VDZ社、2019年
12. ピーター・センゲ《学習する組織——システム思考で未来を創造する》枝廣淳子・小田理一郎・中小路 佳代子(訳)、英治出版、2011年(原著:Peter Senge、The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization, Random House社、1990年)
13. エトムント・フッサール《ヨーロッパ科学の危機と超越論的現象学》(Edmund Husserl, Crisis of the European Sciences and Transcendental Phenomenology)Martinus Nijhoff Publishers社、1954年
14. メアリー・マザシル《美の回復》(Mary Mothersill, Beauty Restored)Clarendon Press社、1984年
15. ジョルジュ・バタイユ「花言葉」《ドキュマン》江澤健一郎(訳)、河出書房、2014年(原著:Georges Bataille, The Language of Flowers,1929)
16. フリードリヒ・ニーチェ、前掲書、1878年
17. アーチボルト・マクリーシュ《詩論》(Archibald MacLeish, Ars Poetica from Collected Poems 1917-1982)Houghton Mifflin Company, 1985年
その他参考資料(記事、ソーシャルメディア、楽曲)一覧
i サミュエル・ライリー「ファン・ゴッホはどのように日本を想像したか」《アポロマガジン》(Samuel Reilly, “How Van Gogh Imagined Japan”, Apollo magazine)2018年3月
ii チャールズ・チャウによるFacebookでの投稿、2020年10月
iii エミー・ザ・グレイト「Dandelions/Liminal」《エイプリル/月音》ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ、2020年(Emmy the Great, Dandelions/Liminal from the album April)
