
文潔華教授
文潔華(エバ・マン)は2023年、サンフランシスコ大学アジア太平洋地域研究(桐山基金)教授に任命され、香港バプティスト大学の名誉教授でもある。比較美学、比較哲学、女性に関する研究、フェミニズム哲学、文化研究、芸術と文化に関する方面でも、多数の評論を発表している。2004年にフルブライトプログラムによる交換学者として、カリフォルニア大学バークレー校において研究を行った。2009年には米国ウィスコンシン州マーケット大学百周年記念女性連合講座の教授を委任された。文教授は公共サービスの一環として、香港芸術発展局、香港博物館諮問委員会、香港特別行政区政府の康楽・文化事務署と民生事務局、香港ジョッキークラブの芸術文化遺産プロジェクトの顧問などの公職に就いている。その他には、多数の定期刊行の学術誌の編集委員でもあり、イギリスの「ブルームズベリー近代美学史」、オンラインジャーナル《Contemporary Aesthetics》(齋藤百合子責任編集)、ニューヨークのWiley-Blackwell社発行の《Hypatia, A Journal of Feminist Philosophy》、オランダのRodopi and Brill社発行の《Journal of Somaesthetics》、その他複数の学術誌の編集に参与している。
炭と存在
文潔華(エバ・マン)
サンフランシスコ大学アジア太平洋地域研究(桐山プログラム)教授
香港浸会大学名誉教授
複数の美学研究学術誌の編集に参与
2013 夏
1年ほど前、チャールズ チャウにばったり会いました。
スレンダーな身体に秘められた彼の創造力には、全く飽きさせないのものがある。特に文体や作風、ウィットに富んだ話し方、アイデアやデザインについてあれこれ考えている姿を見るとそう思う。
チャールズが、時間、エネルギー、感情を常に有効活用する人だと理解するのに時間はかからなかった。「山」シリーズの創作は、2年前に最初のひと筆をしたためた時からすぐに熱中したという。時間の流れに浸かりながら、動きにあわせて痕跡を刻んで、クリエイションの深淵で打ち込んでいた。
このアーチストは、炭を燃料の他に「描く」道具として結びつけることはないのだろうかと私は不思議に思った。木炭にに含まれる生物の繊細な足跡が時間の過程によって炭化している。アーティスが木炭を手にとると、内在する時間と命は、線、筆運び、陰影という果てしない可能性をはらんで息を吹き返す。
「なぜ木炭画なのか?」と私は尋ねた。チャールズには、考える直す必要もないほど自然に、まるでアイディアが「落りてくる」ようだ。
木炭画に関して、チャールズはウィリアム ケントリッジと意を共にしている。その大胆さと美学や、それが色彩と同じように生きいきとした生命力あふれる表現にもなりうることを。
木炭画はアーティストの思考に息吹を与え、木炭もまた絵の中に独特の道筋を示す。
「一度描き始めると止まらないんだ」とチャールズは言う。
モノクロで描かれた山々は、その抽象表現力の傾向を否定するかのようだ。実際の山々がどうであれ、木炭は自らの歴史を背負いながら過去や古代のエレメントの一部を繰り広げる。
木炭は描き手の頭の中を駆け巡ることで、チャールズは献身と自由への欲望を失なうが、互いに力を与え合っている。
そこにそびえる山と、人間社会は共存している。肉体と精神、愛と献身、善と悪など、人間の本質に私たちを近づけるために。
山シリーズは、私の信念を再確認するものだ。
存在の重さを数値化することはできないが、衰弱し形を変えた木炭の痕跡をたどることは可能だ。